日々ノート

心優しい夫まーさん(43)と私(39)の暮らし模様。2018.09大阪から東海へ引っ越しました。

出生前診断のこと

ひと月ほど前のことですが、出生前診断はしないことに決めました。

 

3年前、姉が39歳で3人目の子を身籠った時(上2人の子はその時12歳と9歳)のこと。出生前診断(クアトロテスト)をして確率が低かったので確定診断はせず、姉は男の子を産みました。

既に上2人が居る状況で障害のある子を育てるのは無理だから検査をする、と姉は言っていました。

もし確率が高くて、確定診断もして陽性が出たら、実際はどうしていたかは分からない。

でも姉は、1人目の出産の時から子どもの障害なんて小学校に入ってもグレーだ、とも言ってた。

どんな判断をしても、姉夫婦が決めた事が正しい。その時も今もそう思っている。

でも検査をすると言った姉を、もし障害があったら産まないと言った姉を、ちょっとでも責めるような視線で見なかったか。自分がどんな反応でいたのか、思い出せない。

過去に戻れるなら、話してくれた姉に「不安やねぇ、つらいねぇ」って言って、どんな時も姉を尊敬していると伝えたい。

 

甥っ子が産まれる直前、36歳の時に結婚相談所に入って婚活を始めた。

結婚するとなれば子どもの話も出てくるだろうし、既に高齢出産の年齢。婚活中から出生前診断の事は頭の片隅にあった。

その頃「きみは赤ちゃん(川上未映子著)」という本を読んでいて、胎児ドックの事が書いてあったのも影響したのかも。

 

まーさんとは、子どもはできてもできなくても楽しくやっていこうと意見が一致して一緒になったけど、どんどん子どもへの気持ち、まーさんをお父さんにしてあげたい気持ちが募って、そして子どもを持たない人生になるのだとしたら早くそれを知りたくて不妊治療。

 

1度目の妊娠の時は出生前診断をするつもりで、NIPTのことや胎児ドックの専門クリニックを調べたりしてた。

まーさんは、私がやりたいなら検査しようか?というスタンス。

だけど検査の事を本格的に考えるより前に成長が止まってしまって、流産の原因が22トリソミーということが分かった。

その後の、今の妊娠。

1度目の卵はたまたま22トリソミーだったけど、それが21トリソミーでもなにもおかしくない。1度目の妊娠が継続していて、出生前診断を受けていたら…

どんな事も他人事ではないんやな、と思ってる。

 

今の妊娠でも出生前診断は迷ってて、まーさんとも何度も話し合った。

まーさんは言葉少なく、でも検査しなくても良いのでは、というスタンス。

 

私はやっぱり産みたくて、検査がこわくて安心のために受けるのは違う気がして、育たなかった子は手術で出すしかなかったけど、今育っていて産まれることができるかもしれない子を自分の意思で外に出すことは何か理由があってもできそうになくて。

でも、何かあった時、子が辛い経験や環境に遭遇するならそれはやっぱり苦しくて。

でもでも、何かって何?検査で分かることなどほんの数個の障害で、産まれた後のことは想像でしかなく、想像だけで私が勝手に子の不幸を背負うのもおこがましい。

何も分からないのに。

と、ずっとぐるぐるしていて。

 

結局まーさんが、

「検査はする必要ないと思う。もし検査をして何か分かったとしても、自分も◯ちゃんもきっと産む選択をするから。」

とはっきり言って、ようやく心が定まった。

まーさんが出産に関して私の意思を無条件に優先するのは、産むのは女である自分なんやしそういうもの、最後は自分が決めなければと思ってた。里帰りするのも通院先を決めるのも相談はしたけど自分で決めた。

でも出生前診断をする、しないは、私は2人で考えたかったんやなぁ。

まーさんの意思を知りたかった。

まーさんは私の「産みたい」「検査は不安」その他諸々を汲み取ってそれを自分の意思として言葉にしてくれた気もする。

2人で先延ばしにすることを決めただけなのかも。でも2人で決めた。

 

里帰り先の産院では、中期と後期の胎児スクリーニングが必須なので、出産後すぐ対策が必要な何かがあればそこで見つけてもらえると思う。

考えるべきことがあれば、そこでまた2人で考える。

 

検査がなかった時代には戻れるはずはなく、沢山の親になる人が悩んで悩んでなんとかその時点の答えを出して進んでいくしかなく。

この手に我が子を抱くことが出来るかもしれないと想像すると時々ぶわっと涙が出るときもあれば、人ひとりこの世に発生させてしまうその重さがあまりにずっしりで、落ち込むでもなく明るくでもなくだだもう思考停止して時々ああぁーと呻く時もあり、そんな最近です。